伊達市の農業 Agriculture in Date

侍たちが切り拓いた北国の農地

  • 農業発展の歴史
    A history of agricultural development

    伊達市には、先進諸国の農業技術をいち早く導入し、北海道における寒冷地農業の礎を築いてきた歴史があります。

    この地域で開拓が始まったのは、仙台藩一門・亘理伊達家の集団移住が行われた明治3年(1870年)のこと。当時は人力のみで土をおこしており、原野を相手にする開墾作業はとても大きな困難が伴うものでした。

    そのような状況を変えるため、亘理伊達家の領主・邦成公は明治7年(1874年)に、家畜にひかせて土をおこすアメリカ製の農具を導入。北海道で民間初となる西洋農具を使った開墾が始まりました。この導入によって、人力の何倍もの速さで土を耕すことが可能になり、この地域の畑は急速に広がっていきました。

    明治期の後半になると、現在の伊達市北西部を流れる長流川(おさるがわ)の用水路が完成し、水田の面積が急増。畑作をしのぐ勢いで稲作農業が活発化し、川の周囲に広がる平野部に穀倉地帯が生まれました。

    以降も伊達の生産者たちは、新たな技術を取り入れながら農地の拡大と土壌改良を続け、新たな作物生産のための挑戦も繰り返し行ってきました。現在の伊達野菜の特長になっている多品種多品目生産は、たくさんの人々が長年にわたって積み重ねてきた努力の上に成り立っています。

    • 昭和初期まで馬を使って土を耕していた。

    • ビニールハウスと畑が並ぶ現在の伊達市。

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